沿革

エス・アイザックス商会の歴史:150年の軌跡
エス・アイザックス商会は、150年以上の歴史の中で、世界と日本の架け橋となり「日本の良いものを世界に、世界の良いものを日本の皆様に届ける」ことも目標に貿易、競馬など様々な産業と文化に関わってきました。時代とともに変化しながらも、常に新しいことに挑戦し続けてきた、当社の軌跡を記します。

明治維新前の創業と成長

1866年、来日したルーベンとイスラエル・アイザックス兄弟は横浜に貿易商会を設立。明治維新の年、1868年にはR・アイザックス兄弟商会として正式に登記され、本格的なビジネスを開始します。

シグマンド・アイザックスの時代と事業の多角化

1891年に来日したルーベンの息子シグマンドは、事業を継承し、1903年に社名をエス・アイザックス商会に変更、日本有数の輸出入商社として成長します。取り扱い商材は絹、綿、鉄、化学薬品など多岐にわたり、紳士用品製造工場も保有していました。輸出入業のかたわら、日本競馬界の発展にも大きく貢献しました。

関東大震災と根岸競馬場再建

1923年の関東大震災では大きな被害を受けますが、シグマンドは復興に尽力。特に、根岸競馬場の新スタンド建設に携わり、日本初の鉄筋コンクリート製建造物として歴史に残る功績を残しました。

戦時下の財産没収と再出発

第二次世界大戦中、敵産管理法によりエス・アイザックス商会の全ての財産は没収されました。戦後、1958年に元役員の小倉金蔵が社名を継承し、日本法人を再設立しました。

近年までの歩み

戦後のエス・アイザックス商会は、輸入住宅、建築資材、産業機器など、時代の変化に合わせて事業領域を拡大してきました。近年では、1963年より扱うコロニルブランドのレザーケア製品の輸入・販売を主力に現在に至ります。
1866年(慶応2年)
ルーベン・アイザックス(Reuben Isaacs)が弟のイスラエル・アイザックス(Israel Isaacs)と共に横浜の外国人居留地(山下居留地。現・横浜市中区)にて貿易業を始める。
1867年(慶応3年)
12月2日、ルーベンの息子であるシグマンド・アイザックス(Sigmund Isaacs)がアメリカ・カリフォルニア州で誕生。
1868年(慶応4年=明治元年)

ルーベンとイスラエルがR・アイザックス兄弟商会(R.Isaacs & Brother)として横浜居留地にて設立登記。本格的にビジネスを開始。
当時、特に貢献したのはスイスからの時計輸入であった。
後に時計王と呼ばれた、セイコー創始者・服部金太郎の伝記小説(※)の中に「アイザック兄弟商会」として社名が登場する。

※若山三郎(1993年)『セイコー王国を築いた男 小説・服部金太郎』P89,青樹社

1879年(明治12年)

神戸居留地(現神戸市中央区)にてR・アイザックス兄弟商会の神戸支社設立。
R・アイザックス兄弟商会の当時の帳簿が横浜開港資料館(横浜市中区)に現存する。
著作者・出版社不明(1886年)『The illustrated japan directory』に以下の様な記載がある。

R.Isaacs & Bros. NY – 623 Broadway, N.Y.
R.Isaacs & Bros. Yokohama – 195 Yokohama
R.Isaacs & Bros. Kobe – 50 Kobe

1891年(明治24年)

シグマンドが24歳で初来日。R・アイザックス兄弟商会へ入社。

1893年(明治26年)

シグマンドが日本レース・クラブ(現・JRA)に委員として加わる。後に初代理事長を務めることになる。
シグマンドは本業である輸出入業で辣腕をふるうかたわら日本競馬界の様々な組織で理事長を歴任するなど競馬の発展に貢献。彼のことを「King of Turf」と賞賛する声もあった。馬主としても天皇賞の前身である帝室御賞典での優勝(1925年11月8日、ラレード号)など多数の大レースを制した。競馬界での仮定名称は「ステーツ」。

1903年(明治36年)

ルーベン・アイザックス退職。
シグマンドが36歳で事業を継承。

社名をR・アイザックス兄弟商会から、エス・アイザックス商会(S.Isaacs & Co.)へ変更。
1919年の記録によると当時のエス・アイザックス商会は日本でも有数の輸出入商社であった。取り扱い商材は多岐にわたった。
また当時の日本で最大規模の紳士用品製造工場を保有した。

■当時の主な取り扱い商材
【輸出業】絹・綿類/製品、農業用品、薬、化学薬品、骨董品など
【輸入業】鉄、原皮類、化学薬品、一般雑貨類など
【代理店業】デュポン(アメリカ)、コティ化粧品(フランス)、キングジョージ・ウイスキー(イギリス)、パラタイン保険(イギリス)、コンマーシャル・ユニオン保険(現・コマーシャル・ユニオン/イギリス)など

1912年(明治45年=大正元年)

6月、シグマンドが横浜在住外国人向けスポーツクラブである横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ(Yokohama Country & Athletic Club, 横浜市中区)の理事長に就任。

1914年~1918年
第一次世界大戦
1923年(大正12年)
9月1日、関東大震災発生。エス・アイザックス商会でも14名の従業員が犠牲となる。
池上本門寺(東京都大田区)に慰霊碑が建てられている。
1929年(昭和4年)
シグマンドは関東大震災によって半壊していた根岸競馬場の新スタンドを、知人であり建築家のアメリカ人ジェイ・ハーバート・モーガン(Jay Herbert Morgan)に設計するよう依頼。
モーガンは日本最初の高層ビルである「丸ビル」建設のため1920年に来日していた。
1930年に完成したこの新スタンドは大倉土木株式会社(現・大成建設株式会社)の施工による日本で最初の鉄筋コンクリート製建造物となった。
このうち一等馬見所は経済産業省により2009年に近代化産業遺産として認定され根岸競馬場跡(横浜市中区)に現存する。
1937年(昭和12年)
シグマンドが最後の理事長を務めていた日本レース・クラブが解散。
初代の日本競馬会(現・JRA)横浜競馬場長に就任。
1940年(昭和15年)
8月、シグマンドは日本における洋式競馬の発展に長年寄与した功績を讃えられ日本競馬会理事長の安田伊左衛門より感謝状を授与。日本競馬会横浜競馬長退任。
この頃は関東大震災後に移ってきた横浜市中区山下町92で事業を行なっていた。
その後まもなく日米関係悪化に伴いシグマンドはアメリカへ一時帰国。
1942年(昭和17年)
前年に開戦された太平洋戦争に伴い日本政府は在日外国人の財産を没収する「敵産管理法」を施行。それにより4月11日、エス・アイザックス商会に属する全ての財産が没収された。
またシグマンド個人の財産も没収され所有していた全ての競走馬や厩舎といった競馬財産も競売に付された。
厩舎はその後、日本中央競馬会の宇都宮育成牧場として利用され現在ではその跡地に競走馬総合研究所(栃木県下野市)が設置されている。
1945年(昭和20年)
 太平洋戦争終戦
1947年(昭和22年)
12月26日、再び日本の地を踏むことなくシグマンドがアメリカ・サンフランシスコにて他界。享年80歳。
1958年(昭和33年)
シグマンドを慕っていた元役員の小倉金蔵が「何もかも戦争で失ったが、せめて社名だけでも継承するのがシグマンドに対する敬意の証」と誓い横浜にて日本法人を設立。
その後、業務の強化を図るため蒔田(横浜市南区)から東銀座(東京都中央区)に移動。
2月3日、100%日本法人の株式会社エス・アイザックス商会(S.Isaacs & Co., Ltd.)を設立し再発足させる。

■当時から2000年ごろまでの主な取り扱い商材
【輸出業】豚皮(オランダ)、シュートゥリー、シューズブラシ
【輸入業】輸入住宅(アメリカ)、アリゾナ砂岩(アメリカ)、スレート(アメリカ)、ドイツ粘土(ドイツ)、鉛筆製造用機械(アメリカ、ドイツ)、建築用ガラス、インテリア用ガラスブロック、ボーイング747用コクピットガラス、フロッピーディスク製造機、プリント基盤関連機器、エクステリア用木材(カリフォルニアレッドウッド)、故紙(ニュージーランド、アメリカ)、生ゴミ処理機、クレイ(黒鉛)
1962年(昭和37年)
小倉金蔵の長男である小倉忍が株式会社エス・アイザックス商会に入社。
1985年(昭和60年)
小倉金蔵が他界。享年89歳。事業は小倉忍に継承。
1986年(昭和61年)
子会社「株式会社コロニルジャパン」を設立。
2002年(平成14年)
小倉忍の長男である小倉希が株式会社エス・アイザックス商会に入社。
2007年(平成19年)
7月、株式会社エス・アイザックス商会東京本社を墨田区両国に移転。
2010年(平成22年)
5月、大阪市北区に株式会社エス・アイザックス商会大阪営業所設立。
2014年(平成26年)
小倉忍が代表取締役会長に就任。
小倉希が代表取締役社長に就任。
2015年(平成27年)
12月、大阪営業所を現在の大阪市淀川区に移転。
2017年(平成29年)
11月、株式会社エス・アイザックス商会東京本社を千代田区東神田に移転。
台湾に子会社「石庭企業有限公司(Sigmund Enterprises Inc.)」を設立。
19xx年xx月xx日
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R・アイザックス兄弟商会及び旧エス・アイザックス商会の所在地の変遷
1868年(慶応4年=明治元年)当時のアイザックス兄弟商会
1879年(明治12年)当時のアイザックス兄弟商会神戸支社
第59回帝室御賞典(1936年(昭和11年)4月19日)をアトランタ号で制し表彰されるシグマンドと高木良三ジョッキー
エス・アイザックス商会の従業員集合写真
1929年(昭和4年)当時の根岸競馬場
日本競馬会より贈られた感謝状
敵産管理法によるエス・アイザックス商会及びシグマンド資産没収告示
NEW YORK TIMESに掲載されたシグマンドの訃報
蒔田オフィスでの小倉金蔵
東銀座オフィスで談笑する従業員
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