ルーベンとイスラエルがR・アイザックス兄弟商会(R.Isaacs & Brother)として横浜居留地にて設立登記。本格的にビジネスを開始。
当時、特に貢献したのはスイスからの時計輸入であった。
後に時計王と呼ばれた、セイコー創始者・服部金太郎の伝記小説(※)の中に「アイザック兄弟商会」として社名が登場する。
※若山三郎(1993年)『セイコー王国を築いた男 小説・服部金太郎』P89,青樹社
神戸居留地(現神戸市中央区)にてR・アイザックス兄弟商会の神戸支社設立。
R・アイザックス兄弟商会の当時の帳簿が横浜開港資料館(横浜市中区)に現存する。
著作者・出版社不明(1886年)『The illustrated japan directory』に以下の様な記載がある。
R.Isaacs & Bros. NY – 623 Broadway, N.Y.
R.Isaacs & Bros. Yokohama – 195 Yokohama
R.Isaacs & Bros. Kobe – 50 Kobe
シグマンドが24歳で初来日。R・アイザックス兄弟商会へ入社。
シグマンドが日本レース・クラブ(現・JRA)に委員として加わる。後に初代理事長を務めることになる。
シグマンドは本業である輸出入業で辣腕をふるうかたわら日本競馬界の様々な組織で理事長を歴任するなど競馬の発展に貢献。彼のことを「King of Turf」と賞賛する声もあった。馬主としても天皇賞の前身である帝室御賞典での優勝(1925年11月8日、ラレード号)など多数の大レースを制した。競馬界での仮定名称は「ステーツ」。
ルーベン・アイザックス退職。
シグマンドが36歳で事業を継承。
社名をR・アイザックス兄弟商会から、エス・アイザックス商会(S.Isaacs & Co.)へ変更。
1919年の記録によると当時のエス・アイザックス商会は日本でも有数の輸出入商社であった。取り扱い商材は多岐にわたった。
また当時の日本で最大規模の紳士用品製造工場を保有した。
■当時の主な取り扱い商材
【輸出業】絹・綿類/製品、農業用品、薬、化学薬品、骨董品など
【輸入業】鉄、原皮類、化学薬品、一般雑貨類など
【代理店業】デュポン(アメリカ)、コティ化粧品(フランス)、キングジョージ・ウイスキー(イギリス)、パラタイン保険(イギリス)、コンマーシャル・ユニオン保険(現・コマーシャル・ユニオン/イギリス)など
6月、シグマンドが横浜在住外国人向けスポーツクラブである横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ(Yokohama Country & Athletic Club, 横浜市中区)の理事長に就任。